変わらぬ創業の想い ―当社の使命―

大型リチウムイオン電池に誰も手を出さない理由

2000年頃まで、リチウムイオン電池の世界市場は日本企業で100%を占めるほどであり、電化製品に使用される小型リチウムイオン電池を製造するメーカーが国内に数多くある状況でした。
そのため吉田は「まだまだチャンスはある」と各社へアプローチを進めますが、反応は軒並み厳しく、各社から返ってきた答えはどこも同じものでした。
■リチウムイオン電池の安全性の課題
「リチウムイオン電池は、衝撃に弱く、発火・発煙するリスクが高い。しかも、具体的な解決策がない」
「小型でも扱いを誤れば危険なのに、それを大きくするなんて。やるべきではない。」

■日本は電力事情の良い国。そもそも蓄電のニーズはあるのか?マーケットになるのか?
蓄電は、停電時や発電量が変動する再生可能エネルギーとセットすることで、力を発揮します。
この2000年代当時は、太陽光発電など再生可能エネルギー活用は浸透しておらず、本当に普及するのか誰にも分からない状況でした。
また電気の使用量が増え続ける日本において、電力会社は発電能力を上げるため発電設備を増やすことで安定供給を図っていたため、電力事情は良く、「停電が起きる可能性はほとんどない」「起きてもすぐ復旧できる」とまで言われていました。
停電リスクがなく、再生可能エネルギー活用も見えない状況で、蓄電は本当に必要とされるのか?
量産工場の投資回収が出来るマーケットになりえるのか?と疑問視される状況でした。

ー本当に成しえたいこと、それは何かー

また当時、日本企業が独占していた小型リチウムイオン電池の市場は、相次ぐ事故と国内メーカー間の競争激化により縮小しはじめました。その結果、海外企業にシェアを奪われ、日本企業は次第に市場から撤退していく状況に。

懸命に量産化を担ってくれる企業を探すものの、プロジェクトが終わりを迎える頃になっても見つからず、風前の灯火のような状況になっていきました。
このような状況の中、吉田の胸中にさまざまな想いが去来します。
(▽マークをクリックしていただくと、吉田自身の当時の想いが記されています)
ビジネスで社会課題を解決する —実学へのこだわり—
いくら良いことであっても、世の中に役立たなければ、意味がない。
多くの企業から資金を出して頂いたこのプロジェクトだからこそ、世の中で役に立つ“実学”として形にする必要がある。
このプロジェクトは実学思想を掲げる福沢諭吉が創設した大学で生まれたもの。であれば、一歩前へ出るべきではないだろうか。

そもそも私がEVに関心を持ち始めたのは、産業廃棄物処理から環境問題・エネルギー問題の深刻さを知ったことがきっかけ。
社会全体を動かすためには、ビジネスとして課題に取り組む必要がある。
このプロジェクトは“研究課題”ではなく、もはや“事業として取り組むべき社会課題”なのだ。
できないと言われているからこそ、安全なリチウムイオン電池に勝機がある
多くの企業が、リスクが高いと考えているリチウムイオン電池。
小型でも難しいのに、大型化するなんて無謀だという人もいる。

だが、安全なリチウムイオン電池は、本当に無理なのだろうか。
「誰かと同じ事をしていても勝ち目はない。人がやらない事・人ができない事にチャンスがある」
これは、私がビジネスで経験してきた勝利のルール。

安全なリチウムイオン電池が開発でき、量産できれば、道は開ける。
だれもトライしない。だからこそ、安全な電池には挑戦する価値がある。


また少子高齢化の進む日本で、品質・信頼性・安全性が揃った電池をつくるためには
人の手を必要としない完全自動化工場も必要だ。やるならば、量産化も視野入れなければならない。
蓄電池の大いなる可能性 — 新しいエネルギー産業になる
電力事情が良く、大規模停電は起きないとも言われている日本。
太陽光発電は普及もしておらず、蓄電が本当にマーケットになりえるのか、それもまだ分からない。
それでも、この国の現実とこれからの社会の本質を考えると、蓄電はこれから必要なものになりえる。

「エネルギー資源に乏しい日本という国」
天然ガス・石油などエネルギー資源がなく、多くを輸入に頼らざるを得ない日本において、発電したエネルギーを無駄なく使うこと、エネルギー効率を良くすることは、非常に重要なことである。

現在(2006年当時)の発電方法は、大規模な発電所を中心にする“集中型”。
効率や経済性を重視した合理的な仕組みであり、長く日本の電力を支え、経済・暮らしを守ってくれている。

しかし、山と海に囲まれた国土の狭い国で、大規模な電力設備を増やし続けるにも限界がある。
そうであれば、今ある発電所を酷使せず、より長く大切に使っていく必要がある。
集中型への依存を減らすためにも、住宅や店舗など小さな単位に太陽光発電を入れ、分散型に比重を移していく。
集中型発電は産業に回し、自宅や小さな店舗などに太陽光の分散型を導入すれば、この国に合ったエネルギーのベストミックスが成し得るのではないか。
その実現のためには、分散型発電の弱点を補う蓄電技術が必ず必要になる。

「地震など自然災害が多い日本という国」
電力事情が良く、大規模停電は起きないとも言われているが、他の先進国に比べ、日本が災害リスクの高い国であることを忘れてはいけない。
災害の際、集中型発電からの電力供給が止まっても、各家庭・店舗で太陽光と蓄電があれば電気が使用できる。
分散型発電社会は、防災にも強い国づくりにつながる。

「社会がアナログからデジタル変容していく。今まで以上に電気が必要となり存在感が増す」
2000年代初頭、インターネットが普及し、これからの社会はデジタル中心に変容していくだろう。
今でも電気が止まれば大きな被害が生まれるが、今後の社会において、電気の重要性はますます増していくだろう。

本質を考えれば、必ず安全な電池の普及が必要となる。
蓄電池は新しいエネルギー産業になりえる。もしかしたらオイルに変わる存在になりえるかもしれない。
ものづくり・Made in Japanへの強い想い
ITやサービスなど三次産業での起業が多く、製造業での起業が稀であるのは、簡単な産業ではないという意味だろう。
しかし、経済の基盤は、ものづくりだ。銀行で多くの企業を見てきた経験がその重要性を教えてくれた。
ものづくりが国内で出来なくなることは、国力低下に大きな影響を与えることになる。
であれば、製造業で新しい市場を創ることは、大きな意味があるのではないだろうか。

また“Made in Japan” という言葉には、特別な価値がある。
丁寧な仕事、正確さ、安全性、信頼性、約束を守る文化。
そういう積み重ねが日本の品質を形づくり、“Made in JAPAN” という言葉を生み出した。
これは簡単に生まれたものではなく、先人たちが時間をかけて築いてきてくれた信頼である。
ものづくりで“Made in JAPAN”を継承し、その価値向上に寄与することは、未来のためだけでなく、先人たちの努力を継承する”意味あること”なのだ。
少子高齢化社会におけるシニアの役割
多くの人は、定年を迎えるとビジネスの世界から離れ、リタイアしてしまう。
今までの人口構造であれば、一定の年齢になるとリタイアすることは成り立ったかもしれないが、少子高齢化が進む日本において、この仕組みが続けば、若者に負担をかけてしまい、社会は成り立たなくなる。
しかし一方、経験豊富な者が同じ場所に長くいることが、組織の活性化・循環を滞らせる原因になりえることも事実だ。

シニアの強みとは、何か?
それは広い視野・豊富な経験と想像力を以って描くコンセプト力とマネジメント力だと思う。
また社会は「人と人の組み合わせ」、それぞれに役割がある。

起業は若者がするイメージが強いけれど、シニアが今までと違う新しい場所で若者と一緒にリスクをとって挑戦すれば、社会のためにこの強みを生かすことができる。各々の役割を役立てることができる。
少子高齢化社会におけるシニアの役割を自ら体現し、年齢で区切られてしまう社会に新しい可能性をもたらしたい。

そして電池産業は装置産業であり、電力貯蔵用電池を量産するには、何百億という資金が必要になる。
このような資金集めは、経験者であるシニアだからこそできる役割ではなかろうか。

一方、69歳でビジネスを興すのであれば、事業の承継を考えておかなければならない。
エリーカプロジェクトから一緒で黙々と仕事をする優秀な技術者の河上清源君(当時32歳)がいる。
好奇心旺盛で人柄もよく、素晴らしい若者である河上君を育てることが出来れば、事業承継することが可能だ。
前例のない資本構成での資金調達
装置産業である以上、数百億という資金調達が必要になる。
そして、この事業は一朝一夕で成し遂げられるものではなく、我慢の時間は長く続くものと思われる。
個人株主の場合、感情的要因、ライフステージの変化や相続の要素もあり、長期にわたる関与を前提とすることが難しい。
であれば、個人は情がからむし、時間が掛かれば相続の話となるため、長く株主を続けてもらうのは難しい。
このような会社は、株主を企業に限定して資金調達するしかない。

蓄電の普及はこれからの社会のためであり、未来への投資でもある。
だからこそ、資金調達はファンドに頼らず、自分の手で行おう。
企業から出資を受けるには、取締役会を経て総意で決まる。
もしビジネスの最前線に立つプロから多くの賛同が得られたら、私の考えていることが正しいかどうかの証明にもなりえる。
蓄電の可能性・社会的意義を理解してくださり、事業に共感してくださる企業は必ずあるはず。
社会のためと情熱で、この事業を成功させる。
37歳で戦没した父からの手紙
胸の中で様々な想いが巡り、色々考えていた時、戦没した父吉田三郎からの手紙を思い出した。
文部省の司政官として、戦争中のフィリピンにおける教育行政に心血を注いでいた父は、「今こそ行為をもって心想を表現すべきときである」と自著「興亜論」の序文に記すように、何よりも実践を尊んでいた。

本来なら用意された飛行機で帰国できたにも関わらず、自らの意思で断り、終戦直前の1945年6月マニラで亡くなった父から届いた最後の手紙。
その手紙は「人ノドリョクダケデ何デモ出来ルワケデハアリマセン。神々のオ心ニカナッタオコナヒノ出来ルヤウニ努メナケレバナリマセン。祖父様、母様ノオッシャルコトヲヨクキイテ、強ク正シイ日本男子ニナッテクダサイ」という言葉で結ばれている。
「強ク正シイ日本男子ニナッテクダサイ」 父の言葉が、最後の最後、私の背中を押してくれた。
安全な大型リチウムイオン電池を普及させること。
無謀かもしれないが、これは間違ったことではない。本当に出来るか、普及出来るか誰も分からない。
だからこそ、ビジネスにして正しい事にしていかなければならない。

異業種の電池、銀行員でメーカーの経験もない、69歳での起業。
この道は、他の人は選ばない険しい道であろう。私がやらなくても、誰かがいつかやるかもしれない。

しかし、世の中は一刻一刻変化する。誰かを待っていては、遅すぎてしまうかもしれない。
このままでは終われない。
ここで私が動くことが日本の役に立ち、普及の道に少しでもつながるのであれば、私が、今、リスクを取ろう。
これからの人生を蓄電の普及に賭けよう。
これまでの人生で募らせてきた様々な想いがひとつになり、吉田は起業することを決意。
吉田の69歳の誕生日にあたる2006年9月28日、この世にエリーパワーが誕生しました。